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1月2日。例年の習慣に従って、私は妻とともに神戸市の青谷にある妙光院へ行きました。
その目的は、私の家で暮らす2匹の猫たちの幸福と安全を願うため。この馬頭観音は、すべての動物たちを守る観音様として知られています。
私のドメインであるbonmee.comの由来は”bon”と”mee”、猫たちの名前を繋いだもの。とても大切な猫たちですから、毎年正月にはここで手を合わせ、お守りを頂いて帰ります。
阪急の王子公園駅を降りて、王子動物園の東から北に沿って北西へ。
松蔭女子学院のところから急な坂を摩耶山天上寺に向かって登って行くと、山道に入る手前に妙光院はあります。
阪急六甲か三宮から2番のバスに乗って青谷で降りても同じですが、昔は寺へ行く道のり自体も修行だったと聞きますのでね。
年に一度しか行かないのですから、あえて(苦行と言う程でもありませんが)歩くことにしています。
こちらが日本最大の馬頭観世音菩薩像。動物愛護の本尊です。
高さは約6メートル。四つの顔が四方を見渡し、炎を背負って手には剣と数珠を持っています。馬の背に立ち、ものすごい形相で睨んでいますね。
この馬頭観世音菩薩像は1930年、当時の住職が急な坂道で荷物を背負ったまま立ち往生している馬を見て建てようと考えたのだとか。六甲の坂は厳しいですからね。
完成したのは1933年とのことです。
妙光院は、天武天皇の命により西暦675年に建立されました。当初は京都にありましたが、山科へ移転した後、1908年に当地に移転したと聞きます。
馬頭観音像の左奥には愛馬供養塔があり、亡くなった動物たちが数多く眠っています。昨年来た時に見学させて頂きましたが、私が通っていた乗馬クラブの馬もいて、何だか神妙な気持ちになりました。
名前は「愛馬」供養塔ですが、収められた動物たちの魂は馬に限りません。馬の場合はタテガミが収められていますが、犬や猫の首輪が納められていたりもします。オットセイやアシカの名前も見ることが出来ます。
こちらは歓喜天。聖天とも呼ばれますね。
妙光院は馬頭観音で有名ですが、何もそれ専門ではありません。子安地蔵だってあります。
歓喜天はもともとヒンドゥの神様ですね。インドではシヴァとパルワッティの子であるガネーシャです。
それが仏教に取り入れられ、日本へやって来た段階で何やらいろいろとお話が変わっているようですけれども。
頭が象になった由来も、ヒンドゥと仏教では違うお話になっているようです。面白いですね。
妙光院の少し下のところ、民家のガレージのようなところで猫だまりを見かけました。
黒白の猫にニャアと呼び止められ、しゃがんで見ていたらゾロゾロと集まって来て、みんな愛想を振ってくれます。
とは言っても、調子に乗って私が近寄ると逃げるんですが(笑)。最低限の間合いだけは取っているようで。
馬頭観音のすぐ近くで暮らす猫たちは、みな平穏でとても幸せそうです。
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年末ですが、兵庫県宝塚市にある中山寺へ行ってきました。
以前来たときに頂いたお札を返せていなかったので、年が変わる前に返しておこうかということで。
何でもその年は私が大凶とやらで、酷い目に遭うぞと脅されたものですから、それで慌ててお札を頂いて財布に忍ばせてあったのですが。
1年経っても返すのを忘れているくらいですから、私の信心も大したものじゃない。ご利益は薄そうですね。
山門をくぐった裏側に、立派な狛犬と獅子の像があります。
漆塗りがすっかり剥げて土台の木が剥き出しになっていましたが、この度修復に成功したとか。
漆塗りなのは分かっていたものの、その漆の成分が分からなかったため、ずっと分析作業を行っていたようです。
それが弁柄漆と呼ばれる漆のみで塗られていたと判明したため、現代の漆職人によってその美しい姿を取り戻しました。
とても立派な像です。
中山寺は文字通り寺ですが、なぜか写真にある通路の両側には七福神が並んでいます。
七福神といえば神社の縄張りの筈ですが。はて?
とはいえ、冒頭に書いたように「大凶で酷い目に遭う」と散々脅された私は、生まれた年によって異なる自分の神様を探してお札を頂きまして。それを返すために訪れたのですから、私もきっちり利用している訳で。
いつの頃に神社が追加されたかは知りませんが、仏様と神様のどちらにも逢えるのは便利かも知れませんね。コンビニエンスです。(笑)
便利なのは神仏のコンビニエンスだけではなく、参拝者向けにエスカレータが2ヶ所用意されていること。
大昔は寺へ行くこと自体が修行だったこともあって、わざわざ行きづらい場所に寺を建てていたとも聞きますが、今はそんな時代でもありませんのでね。
こちらは安産祈願で有名ですから、妊婦の方もよく来られることでしょう。楽に本殿へ登って頂けるよう、このような配慮が為されているのでしょうね。
また、敷地内には飲食店が2ヶ所と大きな無料休憩所があり、疲れた足を休ませることが出来るのも良いですね。近代型の宗教施設といった感じでしょうか。
公式サイトによると、この中山寺は聖徳太子によって建立されたとのことで、御本尊は十一面観世音菩薩。
古くから安産や子授けの祈願に良いとされ、源頼朝の時代より皇室や武家などから厚く信仰されていたと聞きます。
豊臣秀吉もこの中山寺に祈願して秀頼を授かったというお話があり、現在の伽藍はその秀頼が命じて再建させたものだとか。
そのためでしょうか。若いカップルや赤ちゃんを抱いたお母さんなどのお姿は季節に関係なく見かけます。
本殿から西に向かって進むと、寺に併設された広大な墓地、それからたくさんの梅の木が植えられた広い庭園があります。
お寺には特に用事はなくとも、梅の季節には紅白の梅の花を見に行くのも良いもの。中山の街並みを眼下に見下ろすと、とても爽やかな気分になります。
この日はのんびりした気分で敷地内を散歩しましたが、お正月には屋台の出店が並び、活気に満ち溢れていることでしょう。
もうすぐお正月ですね。
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北桜塚4丁目交差点、ガソリンスタンドの斜め前に、こんな道標が立っています。
北に向かって見ると「すぐ みのを山 かつおう寺」、西に向かって見ると「すぐ いたみ 中山」と読めますね。
「みのを山」は「箕面山」、「かつおう寺」は「勝尾寺」のことでしょう。「いたみ」はもちろん「伊丹」でしょうね。
「すぐ」って(笑)。ここから伊丹までだと、自転車で行っても40分はかかると思いますが。
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向きを変えて見ると、南向きには「すぐ 大坂 はつとり」、東向きには「すぐ 上新田 京」とあります。
「大坂」は「大阪」、「はつとり」は「服部」でしょうね。大阪が「おおざか」と呼ばれていた頃ならば、これは江戸時代の道標でしょうか。
「上新田」はすぐ近くですからまだ分かりますが、すぐ「京」って(笑)。京都までは歩いて行けませんよ(笑)。
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このあたり、昔の熊野田村は、初めて文献にその名が登場するのが応永8年(1401年)。室町時代だそうです。
この東西の道は昔、勝尾寺街道と呼ばれていたそうですね。箕面の勝尾寺や宝塚の中山寺を訪れる人たちが通った街道だったようです。
何日も歩いて旅をする人たちは、この道標に「すぐ」と書かれた文字を読んで「あと少し」という気持ちになったことでしょう。
京都や大阪へ帰る人たちもね。例え「あと1日」かかるとしても、ゴールまでの目安が見えるという意味で、きっと大きな安心感があったに違いありません。
あてのない旅ほど不安なものはありませんからね。
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豊中市内を走っていると、何気ない場所にこんな建物が。
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地下鉄谷町線の谷町四丁目駅を出て、阪神高速の南側を東へ。
大阪医療センターの向こう側、信号を渡ったところに、大阪城の南側に広がる大きな公園があります。
以前仕事で通りかかった時には、それが何であるかを私は知りませんでした。
調べてみると、そこは「難波宮(なにわのみや)跡地」とのこと。
エンシェントを感じるものが大好きな私にとって、非常に食い付きの良いものであることが分かりました。
一見してただのダダッ広い、何もない空き地のようにしか見えないんですけれども。いきなり1300年以上も前の巨大な史跡に出会えるあたり、さすが大阪といったところですね。
「難波宮」は、奈良時代から飛鳥時代にかけてここに存在した宮殿だそうです。
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西暦645年、孝徳天皇はここ難波の地に遷都。
難波長柄豊崎宮と呼ばれる飛鳥時代の宮殿は、中大兄皇子らにより652年に完成したとのこと。
西暦654年、孝徳天皇の崩御により斉明天皇が即位し再び奈良に遷都するまでの期間は「前期難波宮」と呼ばれるそうです。
当時は京(都=首都機能)を奈良に残したまま、天皇のいわば別荘のようなものとして、この難波宮が建てられたとか。
まぁ、たった2年のことですから、政治的にそれほど重要な施設では無かったと言われれば「そうかな?」とも思えますね。
しかし、744年に聖武天皇が再びこの難波の地に遷都(後期難波宮)。明確な証拠は未だ発見されていないとはいえ、その他の情況証拠の整合性から「ここ難波に京が存在していたことは確実視されている」とのことです。
平城京との複都制であったと考えられているようですが、それにしてもこの話、私はかなり驚きました。一般に日本の首都は奈良→京都→江戸と移り変わったとされていた筈ですが、その奈良と京都の間に大阪が挟まっていたということですから。
その後、西暦784年に桓武天皇が長岡京に遷都し、ここにあった太極殿は長岡に移設されたとのことですが、それまではこの難波に都があったということです。
なるほど、以前から大阪にはやたらと古い寺や神社が大量にあるのを少し不思議に感じていましたけれども、そういうことならば納得です。奈良と同等の歴史を持つということですから、古いものがあって当り前。何だかスッキリしました。
この日は仕事の関係で足早に通り過ぎただけでしたが、中を通ってみると様々な人たちが思い思いにこの公園を利用しておられました。
犬と一緒に散歩をしている人、仲間とバーベキューを楽しむ人たち、キャッチボールに興じる親子連れ、ビニールシートを広げてヨガ教室をやっていたり、登山用の本格的なテントを用いてキャンプを設営している人までおられ、何だか皆さんとても楽しそうです。
私もいつか、妻と一緒にお弁当を持って一度訪れてみたいものです。
難波宮史跡公園 → Wikipedia
大阪市中央区法円坂1
この建物。
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かなり古い建物のようですが、市立幼稚園です。
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この愛珠幼稚園は明治13年(1880年)創立。何とその歴史は139年。
明治22年から大阪市立となり、この建物は明治34年(1901年)に完成したそうです。
今は2009年ですから、実に108年前の建物なんですね。
ちなみにこの建物は、国の重要文化財に指定されているとか。
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ここには、1766年に設立された銅を扱う役所(銅座)がありました。
各地の銅山で産出した銅はここに集められ、精製・精錬された後で長崎へと運ばれ、そこから諸外国に輸出されていたそうです。
大阪市立愛珠幼稚園 → HOME
大阪市中央区今橋3-1-11
